女性軽視批判と選挙

先日柳沢大臣の「機械」発言で国会が空転・・・というか補正予算の審議に支障をきたす事態となっている。毎日のように「機械」発言について野党とマスコミが叩きぬいているせいで世論も柳沢大臣拒絶症になりワイワイガヤガヤと騒いでいる。さて、柳沢大臣は本当に「女性蔑視」の発言を心のそこからしたのだろうか?と僕自身考えてみた。
「なかなか今の女性は、一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。人口統計学では、女性は15才から50才が出産する年齢で、その数を勘定すると大体分かる。他からは産まれようがない。産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、機械と言ってごめんなさいね、後は産む役目の人が1人頭でがんばってもらうしかない」
確かに機械と言う例えは本当にまずかったと思う。チャンスの「機会」でなくマシーン「機械」になぞらえて話をしてしなったのだから。当然女性は子供を産むだけの存在ではない。しっかりとした仕事をされているし、今では自立して立派に社会で活躍されている。能力的にも男性と全く変わらないし、社会的にもそれは認められている。当然柳沢大臣もそれをわかっての発言であったと僕は思う。
TVでの報道や国会中継を見ていると「機械」という言葉ばかりが先走って柳沢大臣が言いたかったことを正確に伝えていないように思う。これからは少子化が本格的に懸念される時代それを何とかしようと動くのが政治であるはずなのに、「あげあしとり」のような論戦が貴重な税金を使っての国会審議に費やされるのではたまったもんじゃない。「大臣が辞めないと補正予算審議に出席しない」???何子供みたいなことをやってるんだ!と情け無くなってくる。本当に女性のために戦うのであればそれはそれでやるべきではないだろうか?予算審議という本当に大切な「議論」を人質にして「辞任」を要求するなんておかしいんじゃないか?
「機械」という言葉を見ずに発言を見てみると「男は子供を生むことができない。だからこそ一人ひとりの女性に頑張ってもらう。そのためには政治という場でそのバックアップをしなくてはならない」と続くように感じる。
女性にために頑張って戦っているとばかりにまくし立てて政権を追い込んでいるように見せているが、結局は今後に控える選挙があるからだと見えてしまう浅さも感じる。
「機械」という例えばかりが先走って「蔑視だ軽視だ」と馬鹿の一つ覚えのように騒ぎ立てる野党は見るに耐えない。発言した責任は取らなくてはならないと思うけど、もっと大切な国の運営を考えて欲しいものだ。昨年の国会は民主党の永田議員がぶち壊したが、究極のぬれぎぬ騒動にも自民党は寛大な処置をした。あの事件は紛れも無く名誉毀損だと思うし、その民主党の幼稚さにあきれ返ったが、議員辞職という処分は無かったし大きな問題にもしなかった。そんな大失態をおかした民主党が、重箱の隅をつつくように「機械機械」と騒いでいるのを見ると「ホントまじめにやってくれよ〜」と言いたくなる。
子供のイジメ問題が大きく取り沙汰されているが、こうして国会議員がやっている叩きや追求も裏を返せばイジメに共通するもののように僕は見える。発言は取り返しがつかない。だからこそその発言には大きな重みがある。責任の取り方に問題がある無しは僕はどうこう言えないが「ごめんなさい」と頭を下げている人間を更にたたく今の政治のやり方に大きな問題があると思う。
「失敗は成功の基」と以前のブログにも書いた。今回の「機械発言」は当然しかられて当たり前のことだと思う。でもその裏にある意味をしっかり理解して大人の対応を取るほうが有権者の支持を得られるのではないだろうか?いまどき「女性蔑視」なんて思っている人はいない。社会の中で共存して生きていく術を民間企業や一般国民はわかっているし実践している。それを政治と選挙の道具としている現在の状況は目を覆いたくなる管理人である。「それはそれ。これはこれ」と認識してしっかりと仕事してください。と願う。